— ushilog

『つむじ風食堂の夜』(吉田 篤弘)

つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)

吉田 篤弘 筑摩書房 2005-11

by ヨメレバ

ドイツの宰相ビスマルクの言葉によると「政治とは妥協の芸術」なんだそうです。

もう少し正確に言うと、Politikとは die Kunst des Möglichen und ihre Tugend der positive Kompromiß なんだそうです。ドイツ語はとんと忘れてしまいましたが、ためしにこの格言を訳すなら、政治とは「可能性の芸術であり、肯定的な妥協の産物である」とでもなるでしょう(間違っていたら教えてください)。

この言葉を聞いて芸術家がなんと思うかは分かりませんが、もし人生にも自分と誰かとの、あるいは自分と自分自身との政治の側面があるなら、人生もまたある意味では妥協の芸術なんでしょうか?

もしかしたら、年を重ねるということがそのまま芸術なのかもしれません。

どこともしれない不思議な街、月舟町での人々の交錯を描くこの小説にも、そんな政治の一場面が現れます。

そのとおり。私は背が低いので役者をあきらめたのだった。思えばまったく自信なんてものを持てなかった。いや、本当はそうじゃない。自信が持てなかったことを、背が低いことのせいにした。それが正しい。

その証拠に、私は台本書きもままならなかったのだから。

吉田 篤弘『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫) p.62

決断において「鶏が先か卵が先か」という話ではありませんが、その時その時の条件と選択というのは誰にもあるもので、基本的には、それを多かれ少なかれどこかで正しかったと思わなければやっていけないところがあります。

それでも、毎日を生きていくというのは、それだけで済むほど単純なものでもありません。

*

この本を買った日のことはよく覚えています。

澄んだ寒空に手品のような三日月がかかり、ビルの上をのっそりと飛行船が横切っていった夜でした。

窓口でしか受け取れない小包があって、普段は降りることもない高田馬場の駅を降りて郵便局に向かうと、慣れない街の道端に古本屋がぬっと現れました。

お店は閉店セールでした。

学生のころはよく本を安く買いたくて通っていた古本屋。ですが働き出してからは古本屋に入ること久しぶりで、初めて入った店でも、「せめてこのお店が消えてしまう前に何か買おう」という気持ちになって探しました。そこで出会ったのがこの本です。
そのときは丁度ちょっと前に「クラフト・エヴィング商會」の本を読んでいて、作者の吉田氏がそのメンバーだったということが決め手でした。

そしてその日は結局、小包を抱えた帰りにも2軒古本屋に寄りました。
自分が通り過ぎてきた文化へのささやかな支援のつもりでもありました。

*

この話の中の「私」は、ふとしたきっかけから、人生を巻き直し、妥協の芸術を作り直すかのように、ままならなかった台本書きをもう一度試みることになります。

それも、たった一人のために。

それで「私」が自信が持てるようになるかどうかは誰にも分かりません。
が、一人のためになにかをもう一度やり直すというのは、それほど悪い話でもないのではないでしょうか。

note: ビスマルクの言葉は Oswald Panagl, Fahnenwörter der Politik: Kontinuitäten und Brüche, S.204. より。 vgl. GoogleBooks.

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