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『137億年の物語』読書メモ - スパルタ、フィリピン、ジャガイモ、デビアス、太平天国

Rosetta Stone

137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史

クリストファー ロイド 文藝春秋 2012-09-09

by ヨメレバ

話題となった本。しばらく前に読み終えていたものですが、覚書程度にメモ。本の分量的には1/4が有史以前なのですが、ピックアップはすべて有史以後です。

スパルタについて (p.227ff)

古代ギリシアで、ペロポネソス戦争(BC431~404)後から30年近くギリシアでの覇権を握った都市国家スパルタ。その後しばらくするとマケドニア・ローマの支配下に入る運命にありますが、この本に書かれていた黄金期は今まで思っていた以上に「スパルタ」でした。
まず国の制度(リュクルゴス制、に始まる制度)としては国家主義に近く、兵士に適さない子は捨てる。男子は7歳で訓練所行き、そこでムチ打ちの試練を乗り越えられないと死ぬ。代わりに、戦で武勲を上げると20人もの女性と床を共にすることができました。逆に失敗の罰も厳しく、ファランクスで用いる盾を失いながら帰ってきた男は勘当され死刑を宣告される運命にありました。女性もまた身体強靭で優秀な子孫を残すために体を鍛え、当時の他のポリスに比べるとかなり高い地位を与えられていたそうです。

著者のロイドはこうしたスパルタの傾向を、以下のように評しています。

スパルタは、実験的な新しい方法によって人間の組織化をはかった最初の例である。スパルタは全体主義的な軍事国家の極みだった。(略)家族に対する義務よりもポリスの繁栄のほうが重要だった。(p.227-8)
スパルタの社会は(略)後世の思想にも影響を及ぼした。ヒトラー・ユーゲントでは、子どもたちに、個人や家族に対する義務よりも、国家に対する義務のほうが重要だと教え込んだ。(p.228)

なお、ペロポネソス戦争のさなかに生まれたプラトンも、『国家』では男女の結婚について、優秀な男性にいかに子孫を多く残させるかという観点からスパルタの制度と似たようなことを述べています(『国家』第5巻8章・9章、とくに459A-460B)。その前では優れた人間どうしをいかに巧みに結婚させ、劣った人間たちを結婚させないか、さらにそれをどうやって運に見せかけるか……と読める話を展開していたりして、現在の価値観から見るとなかなか極論ではあります。

国家〈上〉 (岩波文庫)

プラトン 岩波書店 1979-04-16
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by ヨメレバ

フィリピンの由来 (p.370,437)

フィリピンの名前の由来はフェリペ2世(在位:1556年 – 1598年)。1521年にマゼランが到達し、そして殺害された島々の名前は、航海戦略を進めていた皇太子=後のフェリペ2世の名前にちなんで付けられたそうです(命名は1543年、植民基地が作られたのは1565年)。
ちなみに1521年時点では1494年のトルデシリャス条約によりポルトガル領となるところですが、そもそも条約の適用もそこまで厳しくなかったようです。マゼラン艦隊の生き残りが1522年に世界一周を達成した後、1529年のサラゴサ条約で正式にスペインに優先権が与えられた模様(さらに1898年の米西戦争後にアメリカ領に)。

ジャガイモの歴史 (p.384ff.)

南米原産のジャガイモは1570年頃スペイン人によりヨーロッパにもたらされましたが、しばらくは動物の餌・貧民の食べ物として扱われたそうです(どんぐり並みの扱い)。イングランドでは17世紀半ばに救荒作物として協会に提案されたものの、裕福な人にまで広がったのは1800年頃。この間、動物の餌として北米に「逆輸入」されています。とくに食料が不足気味だったアイルランドでは主食にまでなりました。
しかし南米で数百種栽培されていたのに比べ、ヨーロッパに輸入されたジャガイモはわずか4種しか無かったとのこと。そのため、1830年代に北米東海岸で発生した疫病がペルーを経由して1840年代にヨーロッパまでやってきた時、ヨーロッパの多様せに欠けたジャガイモは壊滅的なダメージを受けます(ジャガイモ飢饉・ポテト飢饉)。アイルランドは当時イギリスの一部だったにもかかわらず、イギリスは対策らしい対策も打たなかったため多くの人が飢え死に、100万人以上のアイルランド人がアメリカに移住する結果となりました。

ちょっと本から離れると、じゃがいもが描かれているために発表当初は不評だったというミレーの「晩鐘(L’Angélus)」が1857-59年、ゴッホの「ジャガイモを食べる人たち(Les mangeurs de pommes de terre)」が1885年です。上記の通り、著者ロイドは1800年ころには裕福な人達にも受け入れられたと書いていますが、美術的な価値観としてはまだ不評だったようです。

JEAN-FRANÇOIS MILLET - El Ángelus (Museo de Orsay, 1857-1859. Óleo sobre lienzo, 55.5 x 66 cm)
参考: 涙のじゃがいも物語 | 弐代目・青い日記帳

デ・ビアス (p.448)

さらっと注に書いてあります。

ローズが設立したダイヤモンド鉱山会社「デビアス」は、現在も世界のラフカット・ダイヤモンド取引の約50パーセントを支配している。(p.448)

「ローズ」というのは植民地主義者・白人主義者の代名詞、セシル・ローズ(1853-1902)です。下の諷刺画は見た記憶があるという人も多いのでは。身近?なダイヤモンドと歴史がいきなり結びついて新鮮でした。調べたらデ・ビアスの設立は1880年(現社名になったのは1887年)。こうした貿易・植民地化と嗜好品の話は砂糖・チョコレートやコーヒー・紅茶も有名ですね。

Punch Rhodes Colossus

アヘン戦争~太平天国の乱 (p.451f.)

セシル・ローズが生まれる少し前に遡って1840年、中国とイギリスの間でアヘン戦争が勃発します。この戦争の背景には17世紀に始まる茶・絹・陶磁器といった中国の品物への人気がありました。ヨーロッパが中国の品を買いつける一方、中国は輸入の必要が無いため、どんどんヨーロッパから銀が流出していきます。その解決策としてイギリス(の東インド会社)が思いついたのが麻薬の密売でした。

この巧みなシステムは、英国の商人が広東で中国の茶を買いつけ、代金の代わりに手形を渡し、中国の商人はこの手形を、ベンガル人が密輸するアヘンを交換する、というものだった。こうして1750年から1860年にかけて、ベンガルのケシ畑で作られた何千トンものアヘンが、絹と茶と陶磁器と引き換えに、中国に密輸された。イギリスは、貴重な銀の代わりに、植民地で作ったアヘンを通貨としたのだ。こうして、中国が外国との貿易を必要としないという問題は、中国人を麻薬中毒にすることで解決されたのである。(p.451)

1842年、敗れた中国は通商再開・香港の譲渡・そしてキリスト教の国内布教を認めさせられます。が、その結果1850年には農民洪秀全が「キリスト教」に目覚め、布教を開始。やがてそれは1864年まで続く太平天国の乱となります。内乱と混乱の結果、1871年までに2000万人が命を落とした、とロイドは書いています。人死にすぎ(40年後の第一次世界大戦の死者・行方不明者を合わせてもこれより少ない)。

その他にも面白いネタがありますし、もちろん題名通り有史以前のこともフォローされているのでいろんな楽しみ方ができると思います。

137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史

クリストファー ロイド 文藝春秋 2012-09-09

by ヨメレバ

photo by: Nrbelex
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