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岡田暁生『音楽の聴き方』読書メモ

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

岡田 暁生 中央公論新社 2009-06

by ヨメレバ

重複して買ってしまったので「これは読まなくては」と読み始め、読み終えたので内容を備忘メモ。
誤解や強引なまとめもあると思うのであしからず。

[音楽芸術の変遷]
そもそも音楽は「二等芸術」として扱われていた(カント、ズルツァーら)

市民社会・演奏会の発生

17世紀末~18世紀 ロマン派詩人による音楽の聖化(語れないからこそ素晴らしい)
 ・シューマンの音楽批評もこの流れの中にある。ショパンは自身へのシューマンの賛辞を一笑に付した。

ワーグナーによる神学的音楽、音楽の宗教化
 ・ハンスリックは音楽と音楽がもたらす情感は分けるべき、とワーグナーに反対している。

「音楽は国境を超える」というイデオロギー(=音楽には言葉はいらず、誰にでもわかるもの)の誕生
 ・実質的には国境と国民国家に依拠した西洋芸術の布教であり、ピアノコンクールはその権力化として見ることができる。
 ・アーノンクールはこれを厳しく批判する。音楽に国境はあり、言葉があると。
  実際にはさまざまな記号性や形式を理解しないと音楽はわからない。馴染みのないジャンルがわからないのはそういうこと。
  次元が違うが、R.シュトラウスがドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』を、ストラヴィンスキーがワーグナーの楽劇を好まなかったのもまた音楽のすれ違い。

・ベートーヴェン以降の「理念を語る音楽」に対するサティの「家具の音楽」。ドビュッシーもまた「音楽は謙虚に人を楽しませることにつとめるべきです」と語った。

[音楽と接する形態の変遷]
1. 18世紀には音楽は家庭で楽しむ、アマチュアのもの。アドルノにとってモーツァルトの交響曲はまず連弾で触れるものだった。

2. 19世紀になってブラームス以降、その複雑化とサウンド追求から、音楽はプロが「再現」するものに(弾く/聴くの分離)
 ・歴史的には「正しい再現方法」の複製のために音楽院が設立された。ライプツィヒ音楽院など。
 ・再現方法には「語るような音楽」の再現の方法もあればサウンドで圧倒するような再現の方法もある。
  ・ざっくり分ければ前者がフルトヴェングラー、シュナーベル的な「意味」を拾おうとする方法。後者がトスカニーニやポリーニ的な方法。
  ・ツェルニーは語る表現の重要性を理解していたが、同時に「聴衆の大半は心を動かすよりは、驚嘆させることの方が容易な連中である」という言葉も残している。

3. 批評家が採点しありがたがるもの(聴く/語るの分離)

・西洋音楽が作り流通させたさまざまな技術・概念・形態を拭いさると、ほとんどの「音楽」は残らないだろう。
 「コード進行」「楽譜」「演奏会」「作曲家」「八小節のフレーズ」、等々。

・西洋音楽は演奏再生技術の開発(楽譜-演奏家-録音)の歴史として見ることもできる。
 ・楽譜は当初は伝達というよりも「高価な記念品」としての側面が強かった(ex. モンテヴェルディ『オルフェオ』はゴンザガ家への献呈品)
 ・もちろん楽譜は完璧なものではないから、楽譜に収まらないニュアンスは消し飛んでしまう。
  ・ストラヴィンスキーは音楽の観念と表現「の間にいる」演奏家が大嫌いで、レコード録音に熱中した。
  ・異様に細かい連符と微分音、テンポ指示が入った楽譜を残したシェーンベルクもまたひとつの「演奏者不信」の現れとして見ることができる。。
  ・二人とも亡命者という背景を持つ。演奏家・聴衆が音楽を察してくれるという共同体へのハイコンテクストな期待は持てなかったのではないか。

[音楽鑑賞の文化]
・日本は「上手い・下手」で分類するが、ヨーロッパではEr macht musik.のように「音楽しているか」を一つの基準としている。
・allegro, presto, rubatoなどの原義に注意すべき。音楽には「地元の言葉」の側面が必ずある。
・ケージの偶然性の音楽と、たとえば暗闇の密林で浴びる蛙の合唱のように環境の中の「音楽」には共通するものがある。

[音楽の聴き方]
・「他人が使った語彙は、あくまで自分の言葉を見出すまでの、仮設の足場のようなもの」。
・音楽には生まれた文化があり、聴かれる文化がある。
 たとえばモーツァルトが交響曲第31盤「パリ」の終楽章の出だしを弱奏で始めたのは当時の当地の慣習を裏切って聴衆を驚かせるためであった。
 あるいはまた、言語の差異と音楽の関係性の例として、R.シュトラウスとロマン・ロランがやり取りした手紙でシュトラウスが『サロメ』の仏訳にあたり執拗にフランス語のアクセントについて質問したことが挙げられている。
・現代は西欧中心主義がひと通り相対化された後でもある。自分がどの文化の中で聴いているのか意識してみること。

[個人的メモ]
・「主体」の思想と不安。共同体への不信と音楽の再生精度の飛躍的向上。
・ベートーヴェンは悲劇の作曲家と目されることが多い。が、実際には成功者でもある。彼は作曲家の地位向上に努め、また生まれて間もない著作権に基いて版権の管理も行なっていたという。同時代のフンメルも著作権の確立に努めていたらしい。
・民族国家の発生と音楽の必要性。国民楽派、またヴェルディの『ナブッコ』とイタリアを参照。「国歌」「国語」の制定。
・作曲家の吉松隆さんは「なんだか「音楽家」のヒエラルキー(階級制)みたいだが、さしあたり最上級が「演奏家」。それになり損なったのが「作曲家」。それにもなり損なったのが「指揮者」。それにもなり損なったのが「評論家」になるということらしい(笑)」という言葉を書かれている。(「音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら: 月刊クラシック音楽探偵事務所」)

[紹介されている文献ガイド(の一部)]
伊東 信宏『ハイドンのエステルハージ・ソナタを読む』春秋社、2003
ハンスリック、渡辺 護訳『音楽美論』岩波文庫、1960
ヴィクトル・ツカーカンドル、馬淵 卯三郎・大谷 紀美子訳『音楽の体験―音楽がわかるとは』音楽之友社、1982
近藤 譲『音を投げる―作曲思想の射程』春秋社、2006
アドルノ、高辻 知義・渡辺 健訳『音楽社会学序説』平凡社ライブラリー、1999
アドルノ、三光 長治・川村 二郎訳『楽興の時』白水社、1979
小沼 純一『サウンド・エシックス』平凡社新書、2000
小泉 文夫『音楽の根源にあるもの』平凡社ライブラリー、1994(青土社、1977)
パウル・ベッカー、河上 徹太郎訳『西洋音楽史』河出文庫、2011

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

岡田 暁生 中央公論新社 2009-06

by ヨメレバ

photo by: hmomoy
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