— ushilog

guitar fingers

さいきんEテレの「亀田音楽専門学校」を録画で見ています。
J-POPの音楽をいろいろな面から解剖してみようという番組で、面白いので備忘がてらメモと、祖先のクラシックではどうなの?というところを書いてみます。
見たのは「おもてなしのイントロ術」「無敵のヨナ抜き音階」と来て「オトナのコード学」まで。2回目の「アゲアゲの転調学」は見逃し。

1 イントロは: 「世界観を作る」。

たとえば「クリスマス・イブ」(山下達郎)のイントロ9小節目にある鐘の一打ち。これだけで世界がパッと広がっていく。そう言われて聴いてみると、たしかに雨が夜更け過ぎに雪に変わりそうな感じがしてきます。(笑)
あるいは、「ここでキスして。」の一息だけの緊張感。これは先生役の亀田誠治さんがプロデュースした曲で、もともとあったイントロバッサリ削ったそうな。

クラシックで言うと?

印象的な出だしの曲はたくさんありますが、たとえばシベリウスのヴァイオリン協奏曲の出だしとか、澄んだ感じの世界が広がるのと似てるかも。
あるいは「ローマの松」の「アッピア街道の松」も薄暗い夜更けを栄光の兵士たちが行進してくる感じを受けます。

2 ヨナ抜き音階は: 「和風・日本を感じさせる音階」。

番組だと「函館の女」「上を向いて歩こう」「ライディーン」「レーザービーム」「つけまつける」「木綿のハンカチーフ」を紹介してたかな……(ニロ抜きが混ざってる気が)。あとは「昴」なんかもヨナ抜きですね。

「木綿のハンカチーフ」は前半の男性部分はヨナ抜きなのに、女性の歌詞になるとヨナ抜きが崩れて曲が変わった感が一気に出ますね。女性は田舎に置いてかれる立場なので和風とは逆なんですが、その逆を突いたのがおもしろ。反対に、ABBAの”Dancing Queen”なんかは出だしから「ナ」全開なので洋楽感溢れまくりと取り上げられてました。

クラシックで言うと?

日本風音階だけあってさすがになかなか無いです。
ドヴォルザーク「新世界より」の2楽章は近い印象。あとは幅を広げると「蛍の光」(スコットランド民謡)や「スワニー河」(フォスター)の最初のフレーズ。
「蝶々夫人」とかにあるのかな?

日本の音階メモ

・雅楽由来: 呂旋法(これがヨナ抜きの基)、律旋法。もとは大陸系。
・伝統音楽: 陽旋法、陰旋法、民謡音階、沖縄音階

3 オトナのコードとは……「メジャーセブンス」。

ドミソにシを加えたので、ドミソ(C)とミソシ(Em)の両方の顔をあわせ持つオトナな和音でございます。ふわっとした浮遊感やなにかの境にいるマージナルなゆらぎ感を出すのに良い和音、だそうな。司会の小野アナウンサー命名の「罪つくりなコード」というのが最高。

番組では「あまちゃん」OP曲のラスト、「DOWN TOWN」(シュガー・ベイブ)のイントロ、「中央フリーウェイ」、「YES-NO」(オフコース)のサビ「君を抱いていいの」の部分。あとはメロディーとコードで当ててくる例として「さくら」の「さくら舞い散る」の7th音連打、「HANABI」の「決して捕まえ~」がピックアップされておりました。

クラシックで言うと?

独特の世界観を出せるので、もう現代にさしかかった時代に書かれた「ジムノペディ」(第1番、1888年)がズバリそのもの。あの最初のふわっとした和音をコードで書くとGMaj7!
ロマン派にもありそうなんですが意外と思いつかず。

ついでにドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」もフルートソロのあとの和音も見てみたところ、A#m7 -> A#7-5 を反復し、はっきりしない霧の中に迷い込んだような印象を生み出しています。後者の和音は減5度を二つ含むのでとても不安定な感じです(間違っていたらすいません)。
広くセブンスなら、ベルリオーズ「幻想交響曲」の1楽章2小節目ではCm7がぽーん伸ばされ、どこかに放り出される感じを受けます。

それにしても音楽詳しい人は語りの幅が広くてどんどん引きこまれます。残りも楽しみです。

photo by: Bombardier
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practice

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

岡田 暁生 中央公論新社 2005-10

by ヨメレバ

演奏会と音楽を聴く市民の出現

前回の記事では、音楽が宇宙の秩序を表現するものから、ルネサンス時代には純粋に美的なものとして、感覚に訴えるものに変化しはじめたことを書きました。
しかし、それは現代とは時代状況が大きく異なります。現代のように、「ファンが音楽家を支え、音楽家は表現を問う」という仕組みはどうやって成立するのでしょう?

岡田氏はこう書いています。

今は誰もが好きな音楽を自由に聴ける時代である。だがかつては違った。[略]芸術音楽は原則として王侯貴族ないし教会の音楽であって、それを市民(庶民)が耳にできる機会はごく限られていたはずである。たとえばオペラは一八世紀まで、王侯が催す祝典の一環であることが多かった。[略]器楽曲も紅茶を飲んだり談笑したりトランプをしたりしながら聴く王侯貴族のための社交音楽だったわけで、これまた市民にとっては高嶺の花だっただろう。[略]カトリック圏ではミサ曲は王侯貴族の礼拝堂などで演奏されることが多かったはずだから、果たして市民がそれを耳にすることができたかどうか……。(p.105)

補足するなら、上での岡田氏の記述に「芸術音楽」と断りがある通り、中世~ルネサンスの世俗音楽といえば吟遊詩人(トルバドゥール、トルヴェール、ミンネゼンガーら)や舞曲が思いつきます。しかし詩人たちは多く城で歌ったのであり、民衆と音楽の接点は多くありませんでした。
このような音楽の状況に楔を打ち込んだのは、「演奏会」と「楽譜」の出現、そしてそれらを愛好する民衆、いわば市民階層の登場です。

photo by: thart2009
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Neuma

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

岡田 暁生 中央公論新社 2005-10

by ヨメレバ

『音楽の聴き方』を先に読んだので、遡ってこちらも読んでみました。2005年の本ですが既に17版。結構ヒットしてるのではないかと思います。実際に内容も「音楽史」という題名から受ける作曲家・天才たちの歴史、絢爛な宮廷文化という視点にとどまるものではなく、読み応えのあるものです。
自分としては(1)「音楽」の概念の変化(世界の調和~作曲家の表現)、(2)音楽を支える制度(作曲家とその暮らし方・作品の再演)の変化、そして(3)クラシックの後継者としてのモダン・ジャズやポピュラー音楽、という点が気になったので、この3つを取り上げます。

宇宙の秩序 – 中世の音楽

通常私達は音楽を鑑賞する「感動を呼ぶもの」「快いもの」、ミュージシャンによる表現の結果と考えていますが、西洋中世の人たちにとっての音楽はまったく違う相貌を持っていました。岡田氏によれば、中世によく読まれたボエティウスの『音楽綱要(De institutione musica, 『音楽教程』)』では、音楽は以下の3つに分類されているといいます。

photo by: vocalemily
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Rosetta Stone

137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史

クリストファー ロイド 文藝春秋 2012-09-09

by ヨメレバ

話題となった本。しばらく前に読み終えていたものですが、覚書程度にメモ。本の分量的には1/4が有史以前なのですが、ピックアップはすべて有史以後です。

スパルタについて (p.227ff)

古代ギリシアで、ペロポネソス戦争(BC431~404)後から30年近くギリシアでの覇権を握った都市国家スパルタ。その後しばらくするとマケドニア・ローマの支配下に入る運命にありますが、この本に書かれていた黄金期は今まで思っていた以上に「スパルタ」でした。
まず国の制度(リュクルゴス制、に始まる制度)としては国家主義に近く、兵士に適さない子は捨てる。男子は7歳で訓練所行き、そこでムチ打ちの試練を乗り越えられないと死ぬ。代わりに、戦で武勲を上げると20人もの女性と床を共にすることができました。逆に失敗の罰も厳しく、ファランクスで用いる盾を失いながら帰ってきた男は勘当され死刑を宣告される運命にありました。女性もまた身体強靭で優秀な子孫を残すために体を鍛え、当時の他のポリスに比べるとかなり高い地位を与えられていたそうです。

著者のロイドはこうしたスパルタの傾向を、以下のように評しています。

photo by: Nrbelex
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